こんにちは、ダチョウ倶楽部リーダーの娘の肥後千暁(ひごちあき)です。今回の記事では、芸能生活を振り返ってみたいと思います。
公立の中学校を卒業後、芸術系の高等専修学校へ入学。15歳の時から女優を目指し、友人たちと一緒に演劇に明け暮れる日々でした。
↓若いなあ....当時は細眉が主流でした。本当に今と比べると、顔が全然違いますね。笑
↓これはピグモンの役だったかな?本当に、悲惨なくらいブスです。貴重な青春時代、もちろんずっと彼氏はいませんでした、ちょっと我ながら可哀想。笑
私が学生時代、当時、3歳上の兄がお笑い芸人として、バラエティ番組にちょこちょこ出演していました。兄の出演を素直に喜んであげればいいものを、当時の私は『こいつ親のコネで出演してるだけなのにデカい顔しやがって!ムカつく〜!実力で勝負しろや!!』と思ってしまったんですね。今思えば、なんて浅はかな考えなのでしょう。笑
そして私は、高校3年生の時に、父の出演するものまね番組のオーディションに、ハガキで応募しました!もちろん、オーディションは一般参加から。色んな人がいて、アカペラで歌った時は心臓が飛び出るほど緊張しました。オーディション終了後、スタッフさんに呼び出され。
スタッフさん『このこと、お父さん知ってるの?』
バレてたんかーい!!!
ま、そうですよね。笑
こうして私は、中島美嘉さんのモノマネで、番組に出演することになり、出演後、気づいたら父の所属する芸能事務所に仮所属していたわけですが…笑
↓当時18歳の現役女子高生。こんなに制服が似合わないなんて、悲惨。笑
太田プロダクションに仮所属したのは良いものの、超一般人だった当時の私は、あまりにも芸能界のルールを知らず、今思えば周りの大人たちを振り回して振り回して…本当に申し訳なかったなあと思っています。(本当ごめんなさい…)
↓当時の宣材写真。パッとしない顔ですねえ。出直してこい。笑
当時18歳、大して可愛くもないのに、奇跡的にグラビアのオファーがやってきました!でも、何を思ったか、そのオファーを『絶対にやりません!!』と全力で断ってしまったんです。
当時、今よりもずっと太っていたこと、あとは男性経験もほぼなかったので、笑 人前で肌を露出することに、激しく抵抗感がありました。
それに、私はただの二世タレントではありません。ダチョウ倶楽部の娘なのです。←ここポイント、笑
『おでんの具で陰部と乳首を隠すんじゃないか?』
『褌と豆絞りに手ブラをさせられるんじゃないか?』
『"お父さん、私も脱ぎます!"ってタイトルになったらどうしよう?』
そんな妄想ばかりが膨らんでしまったんですね。
25歳になった今、もしオファーが来たら…ギャラが良ければ大歓迎ですね!!
だって欲しいもん、お金!!!笑(25歳にもなれば当時の恥じらいは皆無ですよん)
↓今ならなんとか、メイク次第では若干の色気は出せますよおお!!!あ、でももうアラサーだから需要ないかな。笑
当時の私にとって芸能界は、"ビジネス"という場所ではなく、"自分を表現する場所"だったのでしょう。世間知らずの二世タレントが思いがちな、大きな勘違いですね。自分を表現する場所…若いですねえ…笑
芸能界と言えども、そこはビジネスなのですから。夢を見ていたのでしょう。恥ずかしい。笑
ただ、それなりに二世タレントも大変なんですよ。私がテレビ番組にちょこちょこ出演していた時期は、二世タレントブームでした。番組から求められるものは、『浮世離れした生活』『誰も知らない親のプライベート』『世間知らずの二世』。何をどう頑張っても、好感度が下がりまくりな企画ばかりでした。
当時、私ももっとテレビ用にキャラを作り込めば、もっと違ったのかなあ。
でも、『毎月のお小遣いは◯◯万円です!』『ブランドバッグは親が買ってくれます♡』なんて、作り話は出来ませんでした。そんな分かりきった作り話をテレビで発言してしまうと、世間では両親が"教育に失敗した親"というレッテルを貼られてしまうわけです。
私はやっぱり、そこまで捨てきれなかったんですね。
なおかつ、私はスパルタな母親に育てられたので、むしろ金銭的にも、生活態度についても、割と厳しめに教育されてきました。今思えば、かなりの鬼母です。笑 なので、本当にネタがありませんでした。番組のオファーが来るたび、どんなに考えても考えても、テレビ番組に提供できるネタがほとんどない&頑張って誇張したところでインパクトが全然ない。
よって、出演のオファーは来なくなりました。笑
そして私の中で、またもや世間知らずが爆発。
『私の本業は歌だ!!事務所は辞めてバンドをやるんだ!!!』
こうして、私は太田プロダクションを退社し、フリーランスで活動し始めるのです…。
つづく。
元2世タレント、ダチョウ倶楽部のリーダー「肥後克広」の長女「肥後千暁」です。
日本バラエティ界の伝統芸能"熱湯風呂"と"熱々おでん"で、すくすくと成長→若気の至りで夢を叶えるべくバンドを結成→七光りすることもなく解散→芸能界を引退→OL(大手結婚相談所へ勤務)→夫の仕事をダラダラと手伝いながら主婦を満喫中。
現在は芸能界を引退し、賑やかな家族と一緒に平和な毎日を過ごしています。